八月納涼大歌舞伎

2c5fc1e0.jpg父の日にチケットをとってあげた八月納涼大歌舞伎を、上京した父と見に行く。
注目は、三回目の歌舞伎演出する野田秀樹が新たに書き下ろした『野田版 愛陀姫(あいだひめ)』。
オペラの「アイーダ」を題材にした、東洋と西洋文化の融合に注目。
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「紅葉狩」 常磐津、竹本、長唄の三方掛け合いによる舞踊劇
いつもは歌舞伎観劇前には、筋書きなど最低限の知識を得てから行くのだが、
今回は全くの事前知識無しで観劇。
それでも普通にストーリーはわかるわ。
もちろん古語の知識があるからかもしれないけど、
仮に外人さんがイヤホンガイド無しで見ても、おおらかな内容は伝わると思う。
歌舞伎十八番の内 紅葉狩(もみじがり)

 紅葉が美しい戸隠山平維茂松緑)が、従者を伴いやって来ると、ひと足先に酒宴を催している一行の姿が目に留まります。その主である更科姫(海老蔵)直々に誘いを受けた維茂は、酒宴にまじわるうちに、まどろんでしまいます。寝込む維茂のもとに山神が現れ、更科姫は実は人食い鬼であると警告して去ります。目覚めた維茂は、鬼女の正体を顕した更科姫に立ち向かい、松の大木の上まで追いつめます。静かな女性の舞いから荒れ狂う鬼女へ。

役者のアレンジを加えたソロの舞。素晴らしい身体能力。
音楽との完璧な調和。





「愛陀姫」 オペラの「アイーダ」を題材に野田秀樹が新たに書き下ろし

野田としては初めての書き下ろし歌舞伎、しかもモチーフを西洋に求める意欲作。
アイーダも古典として残るだけあって、
親を思う気持ちとか、敵方の者と愛し合う感情とか、
極めて普遍的な人間の感情を描いたものだ。
それゆえ歌舞伎の世界にも素直に馴染んでるように感じる。
事前知識無くて「これは歌舞伎の古典作品だよ」と言われたら信じてしまいそう。

野田演劇の特徴である、変幻自在に変化する舞台美術や、
コミカルなキャラクターが、徐々にシリアスで恐ろしい人格に変化して行く様も描かれており、
野田本人としても自分の演出と歌舞伎の世界との擦り合わせが分かってきたのかな、という印象。
とても面白くて堪能させていただいたが、気になったのは音楽。

アイーダの曲を、歌舞伎の三味線や太鼓などに上手くアレンジするのかなと思っていたが、
トランペットなどを駆使したアイーダの曲の録音が流れたりして、ちょっとチグハグ。
客は「歌舞伎とオペラの融合」という挑戦をを楽しみに見にきているわけで、
歌舞伎座にオペラを見にきてるわけではない。
凱旋行進曲」など、確かに盛り上がる曲ではあるけど、
歌舞伎にトランペットはないよねえ。

たとえば、曲調は全く違ってもテンポだけ似てる曲とか、
そして歌舞伎に合う曲を、新たに作って欲しかった。オペラを持ってくるというならば。


そういう意味では、私の評価の仲で野田歌舞伎三作のなかで最も挑戦的だったのは
第一段の「研辰の討たれ」になりますね。本当に自由な作品で面白かった。
やはり伝統芸能である以上、継続して作ることに重圧、というか圧力はあるのかな?

でも三部作を一貫して感じるのは歌舞伎座の客層の凄さ。
やはりお年を召した爺さん婆さんが多いのですけど、
野田歌舞伎の自由奔放な舞台を見ても動じること無く、
素直に受け入れて楽しんでしまおう!という空気が劇場内にあっとゆう間に充満してしまう。
新作で、物語の流れも初見だろうに、普通に「○○屋」の掛け声まで掛けてしまう。

ああなるほど、歌舞伎はこうした人々に支持されて数百年も続いてきたんだな、と理解する。
古いから良いでもなく、新しいから良いでもなく、楽しんでしまう気持ち。
でも何でもいいわけでなく、いい演技にのみ掛け声を飛ばし、
悪い日には、しょうがねえなあと流す気持ち。
あらゆるいみで日本文化的な伝統芸術であります。



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