デビッド・クルサード、F1ドライバーとして最後の週末へ

a2b0fc55.jpg2008F1最終戦ブラジル、いよいよクルサード先生のドライバーとしてのラストラン。
実感はあまり無いな、
毎年この時期は来季の契約を引っさげて
ジェット燃料の心配も無くまったりと参戦してるものだったので。。

ただ、来季は全レースチームに同行し、
コンサルタント兼パートタイム・テストドライバーなので
国際放送には今まで以上に映るかもしんない。
来季のレッドブルはウエバーとヴェッテルというナイスな組み方なので、
二台が絡んだりしたらドアップでお顔を抜かれることになるでしょう。

ワールドチャンプへのチャンスはあったドライバーだと思うけど、
なんてゆうか、歴代の王者がもっていない何かを
多く持ちすぎてしまったのかもしれないですね。
優しさとか、礼儀正しさとか、まろやかさとか。
F1は他人を押しのけるスポーツだけど、
同僚のドライバーに尊敬の念を持ちすぎてしまったような。
(と、ここまで書いて、尊敬のかけらも無い事を思い出したけど。。。)
最近は、ご意見番とか先生とか呼ばれて
長老として新人への教育係のような役割だったり。
想いはつきないけど、いよいよその時。
2028年には婚約者カレンさんのお腹にいるデビッド・クルサードJr.が
フェラーリと契約するらしいので、
その時を気長に待ちましょう。




デイヴィッド・クルサードは15年のF1キャリアを終えることを決め、今週末は246回目で最後となるグランプリ出走を迎える。この機会を記念して、レッドブル・レーシングは彼の興味深い事実と数字を紹介している…
ブラジルGPまでデイヴィッド・クルサードは:

  • グランプリ出走245回
  • 優勝13回、表彰台62回、最速ラップタイム18回、ポール・ポジション12回
  • チャンピオンシップの最高順位は2001年の2位
  • 535ポイント獲得
  • 在籍チームは3つ
  • フロント・ローからのスタート37回
  • インタビュー55,400回
  • レーススーツ160着、ヘルメット140個、グローブ85組、宇宙服1着を着用
  • ミドルネームはマーシャル
  • フィットネス・トレーニング31,332時間
  • F1表彰台でスーパーマンの衣装を着た唯一のドライバー
  • 飛行機搭乗1927回
  • チームメイトは7人
  • DC子供服を販売する自身の博物館を所有
  • 昼食に食べた鶏432羽
  • ファッションショー出演22回
  • ニューヨーク警官の扮装1回



2ちゃんねるクルサード板 

一応まるかーレン、もといマクラーレンというトップチームにいたのに、
常にセカンド精神を忘れず、 毎年期待通りの活躍で我々にほのかな
笑いをふりまいてくれる、キャラも味も走りも美味しくまろやかな英国紳士。
セカンドさせたらNo.1、ベッドテクもNo.1、 3位表彰回数は歴代2位。
2005年からレッドブルに飛ばされ、いよいよ湯きり失敗かと諦めムードが漂うも
その年には24ポイント獲得、2006年にはモナコで3位表彰台に立ち、
2007年にはドライバーズランキングで10位に食い込むなど、
ファンの期待を裏切らないチームリーダーは、ジェット燃料と漏れたちの
ために走り続ける。

 顎なんか比べものにならないほど空気を読んでくれるエラで、話のネタを
提供してくれる僕らのヒーロー食パンマン。 某カップやきそばの如く庶民に
愛されている我らがクルサード先生なのだが、ここは一つさらなる愛と哀と
自虐心をもってお湯を注ぎつつ応援してみるのもいいんじゃない?もちろん
かやくは取り忘れ。飛行機事故からも生き延びたその残留能力の高さで
何とか赤牛に拾われたが、下位で燻っている先生じゃあない。
ソースさえかかればボーナス次第でポイントを取ってみせるベテランスコティッシュ
まろやか道場聴講生と2つのチームを育て、確変を続ける、あいつはまろやか先生クルサード
ほのかでまろやかな香りを伴った笑いを、少しでも長く我々に提供して
くれる事を切に願う。

 尚、このスレはネタスレではありません。大変まじめに■をスポンサード中。



■プロフィール■
氏名  David Marshall Coulthard  ニックネーム:DC、ペヤング、■、■ノシ、先生、■先生、まろやか先生
    1971年3月27日生まれ(37歳)おひつじ座
HP  http://www.davidcoulthard.co.uk/

職歴 1994〜1995 Williams Renault セカンドドライバー (94年はテストドライバーからF1デビュー、8戦出場)
    1996〜2004 McLaren Mercedes レギュラードライバー (96-97年ジョイントNo.1 98-01年実質2nd 02年ジョイントNo.1 03-04年実質2nd)
    2005〜2008 RedBull Cosworth(2005)/Ferrari(2006)/Renault(2007-2008) ☆ファーストドライバー★
    2008年7月3日、2008年限りで現役引退を発表
    2009〜 RedBull Racingコンサルタント兼テストドライバー(予定)
特技 どんな車でも予選10番手近辺をキープできます
    どんな車でも決勝7番手近辺をキープできます
    スタートでは時折目の前の進路が開け大幅にポジションを上げることができます
    顔の四角さだけは誰にも負けません
    年1回契約更新頃に確変を起こし短期的に爆発、秋口以降になると存在感さえなくなります
    女性に人気があり、スポンサー受けもよく、スポンサー活動にも積極的です
    積極的にマシンを片付けます

資格 荒れたレースでいつの間にか優勝できる能力検定 1級
    F1マシン開発能力検定 1級
    F1残留能力検定 初段

賞罰 出走237(決勝)、優勝13、PP12、FL18、ポディウムフィニッシュ62
    獲得ポイント533点(2008年第8戦終了時まで)
    1995年オーストラリアGP、ピットロードでクラッシュ。
    1995年ヨーロッパGP、フォーメーションラップ中にスピンアウト
    1998年ベルギーGP F1史上最大の多重クラッシュ誘発
    3位表彰台回数 歴代2位
    モナコの格式高いホテル、コロンバスの共同経営者
    英国人歴代獲得ポイントNo.1!
    連続出走回数歴代No.1 現在も更新中!


ヽ■■■デビッド・クルサード栄光の軌跡 1食目■■■ノシ

1勝目 95年ポルトガルGP
うるさい鈴木のデビューと右京の大クラッシュが記憶に残るレース。ポールトゥウィン。
2勝目 97年オーストラリアGP
マクラーレンの復活優勝。93年アデレードアイルトン・セナが勝って以来、実に50戦ぶりの優勝。
マクラーレンの未勝利記録(53戦、77年富士J.ハント〜81年イギリスJ.ワトソン)の更新を阻止。
3勝目 97年イタリアGP
トップを快走し健闘するアレジを追いかけ同時ピットイン。アレジがピットで手間取る間に追い抜きそのまま終了。
4勝目 98年サンマリノGP
ポールトゥウィン。
5勝目 99年イギリスGP
シューマッハが骨折、アーバインがピットでオーバーランしタイムロス、ハッキネンが最終コーナーでタイヤ脱落し三輪車に。
誰にも注目されない中トップでチェッカーを受ける。
6勝目 99年ベルギーGP
この年のオーストリアGPに続きPPハッキネンとまたも接触。トップに立ちそのままフィニッシュ。
7勝目 00年イギリスGP
4月開催のシルバーストン。ブラジルで6位入賞しこのGPでも5位に入賞したバトンに話題を完全にさらわれる。この直後飛行機事故に遭う。
8勝目 00年モナコGP
PPミハエルと予選2位トゥルーリがトラブルでリタイア。予選3位のDCがそのままゴール。
9勝目 00年フランスGP
予選2位からスタート、PPミハエルの幅寄せに遭い3番手に後退するが、アデレードヘアピンでフェラーリ2台をそれぞれぶち抜き優勝。
オーバーテイク中にミハエルに腕を振り上げ中指を突き立てたシーンが印象的。
10勝目 01年ブラジルGP
デビュー3戦目のモントーヤがミハエルを強引にオーバーテイクしトップに立つが周回遅れのフェルスタッペンに後ろから追突されリタイア。
降りしきる雨の中、周回遅れのマルケスを利用してミハエルに対し目の覚めるようなオーバーテイク。ミハエルの連勝を6で止める。

ヽ■■■デビッド・クルサード栄光の軌跡 2食目■■■ノシ
11勝目 01年オーストリアGP
予選7位から優勝。トップモントーヤと2位ミハエルがバトルの末両者コースアウト。
代わってトップに立ったバリチェロをピット戦略で逆転。しかし最後にバリチェロがミハエルに2位を譲ったことが大いに物議を醸し見向きもされず。
12勝目 02年モナコGP
予選2位からスタートでPPモントーヤをかわし大名行列を形成。後続がトラブルで次々と脱落するのを尻目に優勝。
13勝目 03年オーストラリアGP
予選11位スタート。前を走っていたマシンが事故やトラブルなどで全て消え優勝。
・・・
14勝目 この後すぐ!!! 今年中に何とかします【`・ω・´】 




RedBulletinペヤング版の最終号。
http://applis.servehttp.com/?file=00031610.zip
パス peyoung


父と母の、そして先祖の運送会社である。
トラックの荷台に揺られ、幼子は何を夢見た。

英国紳士である。苦境に耐え忍び、やがて天下を取った
フライングフィンの元同僚が二人いる。

ファンの集うスレッドである。
ネタスレ、残留道場と笑われつつも愛されたあの日。

デビット・ペヤングクルサード
夢ある所に行きつ走りつ20年。

まろやかであり、ちんけでもある。
マシーンをかき分け、気がつけば入賞しているF1の匠。
聖アンデレ十字がはためくよ14年目のシルバーストーンに。

すべての確変に感謝。
力の限り湯切りをするよ。
決してこの日を忘れはしない…




Black design
http://www.blackdesign.jp/